チェンマイからバスで4時間。タートンに着く。
ガイドブックには国境沿いの街までの経由地としか説明のない、小さな村。
そういうものに私は惹かれてしまう。
村に着くと、そこはバンコクと同じ国とは思えなかった。
メコン川が悠々とながれ、空は大きく、空気は静まり、そして人は自分たちの生活を自ら築き、守っていた。
トゥクトゥクは居ない。taxiも、商店街も、外国人の私など目に入らない。
Billyから離れ、実際、一人ぼっちになったものの、何故かバンコクの様な淋しさはなく、見知らぬ土地にわくわくした。
やっぱり、自分は田舎が好きなのかなぁ。なんて、ちょっぴり残念つつも、仕方ないなぁと、メコン川沿いでニヤニヤ思った。

時間はまだ早かったけど、わざと楽しみは明日に伸ばし、ゲストハウスまで帰ろうと腰をあげると橋の上にいた男の人と目が合った。
話してみると、彼はカナダ出身のDaniel、韓国で英語の教師をしていると。
一緒に、歩いていくと、なんと同じゲストハウス。当然のように、一緒に夕ご飯の約束。
いくらアジア英語を聞き慣れた先生とはいえ、私たちは、その晩よくしゃべった。
お互いの旅の話は勿論、映画や本、韓国と日本の文化、タイの持つ人間性、お互いの過去…自分の単語力じゃ考えられないものばかり。

今、思うと、それまでのタイでの日々。声をかけてくれた外国人は何人もいたけど、なんやかんやと嘘をつき、逃げていた。
決して、彼らを怖いとか軽いとか思った訳ではないけれど、なんとなく面倒なことになってしまう気がした。
それなのに、Danielには、なんの迷いもなく話せた。
それはDanielばかりではない。それ以前、それ以後のタイで出逢った人たち。
「自分の身を守る=警戒心を忘れない」は当然なんだけど、それとは別個あるいは同等に
「自分の身に感謝する=人との出逢いを満喫する」も当然のようにある。
周りを疑ってばかりじゃ旅は楽しくない。周りを安易に信じすぎては、旅は自ら危険に入っていくもの。
そのボーダーは、何処で決まるのか。答えは、誰も教えてくれない。
自分の国でさえ、難しい問題なのだから、見知らぬ国にたった独りじゃ、聞く人さえ、聞ける言葉さえない。
答えにならない答えだけど、自分を信じるしか、ない。
だけど、私の場合、日本じゃ周りの存在あってこそ、どうにか自分を徹底的に疑うことなく生きている。
それが、ここに居ては、たった独り。何をもって自分を信じればいいのかさっぱり分からない。
にも関わらず、旅の間、自分のボーダーは無意識の中でちゃんと存在していた。
分からないけど、それはよく言う「人徳」というヤツかも知れない。
彼らの持つ人徳ってヤツが、躊躇や警戒を生む以前に、私の意識に入ってきてくれたんだと思う。

翌日、一緒に山の上にあるお寺さんに行こうか迷っていたDanielは、旅の予定を変えられないと国境沿いの街に発った。
その日、一緒に国境沿いの街へ行こうか迷っていた私は、旅の予定など無いのだけれどタートンの村に残った。
私もDanielも、お互いのその選択を喜べた。
私たちは自分の旅をする、それがお互いどんな意味を持っているのか、わからないけど、わかったのだと思う。
「nice trip!」互いに言ったこの言葉。バイバイには違いないんだけど、とても嬉しかったし、なんだか自分が頼もしく思えた。

6月はタイでは雨期。バンコクではまだ遭わなかったスコールも、北に行けば行く程、頻繁にあった。
いよいよ村を散策しようかと思いきや、その時もスコール。だからと言って、部屋に籠るのもイヤで、ゲストハウスの犬と遊んでいた。
「チョコレート!」「チッョコラ!」 オーナーの孫らしき坊やが、犬を呼びながらこっちにやって来た。
どこか気品漂うオーナー家族。もちろん、坊やもそれに違わず、チョコレートがわか菜のマッサージに気持ち良くなっているのを見て、
居場所の無いような、申し訳ないような顔をする。お客さんに対し、してはいけない事を教えられているような子供だった。
なんだか、こっちが申し訳ない気持ちになって、チョコレートのお尻を叩いて、その子の方へ行かせた。
だからといって、こっちは、そんな大人でもなく、遊び相手のチョコレートを渡したものの、こっちはつまらない。
不信な顔する坊やとチョコレートの後を付いて行った。
坊やはお母さんの所へ。
部屋を借りた人をちゃんとゲスト扱いするこの家族、私もオーナーとして接するべきなのだろう。でも物わかりなど捨ててしまいたかった。
その時から、坊やのお母さん、スダとのお互いの国の言葉の勉強会は、私がタートンに居る間、毎日の恒例となった。
スダと私が仲良くなる程に、坊やのバスは私に本来のバスらしさを見せてくれるのが、嬉しくてたまらなかった。

この村は本当に美しかった。
山の中にあるお寺さんに登って、村を眺めると、それは本当に小さくて、緑と川に光と大地の真ん中に刺した画鋲みたいで。
バンコクで感じ、私が自身をひとりぼっちにさせた、マナーのような、サービスとしての笑顔はなく、
みんなが偽ることなく無関心や、面倒くさい気持ちや、そして歓迎や好奇心を見せてくれる。
私はちぇって思ったり、ラッキー☆って思ったり。
画鋲のように小さな場所で、人がそれぞれ、それぞれの生き方をし、私も同じようにそれぞれの時間を楽しんだ。
それはとても、面白くて、一泊。また一泊。また二泊。旅人の少ない雨期に甘えて、滞在期間を延長していった。


村で見つけた、とこやさん。
伸びに伸び、結わえることで無視していた、この可哀想な黒髪を急に切ってあげようと思いつく。
とてもキレイとは言えないお店、そんな事どうでも良くなる程美しい美容師。
こんな美しい人に髪を切られたら私も美しくなれるかしら。
ニヤニヤしながら、スダとの勉強の成果を発するべく話しかけては、聞き取れない答えが返ってきたり、何言ってるのか困らせてしまったり。
切り終えた私はただのおかっぱ。透いて欲しかったけど、その単語が分からない。
なんだか、自分が、イカスミ混ぜ込んだ真っ黒い中華まんみたい。
でもまぁ、それは自分の責任。美しい美容師は、私の顔をみて、前より一層美しく笑ってくれたので、それで満足。
でも、彼女の息子の甘えようを見たら、なんだか私も甘えたくなったので、最後に甘えて髪を編んでもらった。

前の日に逢ったお坊さん、ナッロンリ。
午後一時。約束通り、また逢いに行く。
この村にお寺さんは一つ。村の小ささとは対象的に、大きな山に頂上まで九つに礼拝堂が別れている。
今日は、一緒にてっぺんまで登る計画。
お坊さんは、三つ目だか四つ目だかのキングギドラみたいな礼拝堂に5匹の犬と住んでいた。
一緒に歩いていくと、犬たちが一斉に付いてくる。君より僕らの方がナッロンリのことは知ってるんだぜ。そんな感じ。
犬たちを無視して歩くお坊さん。お互い気にし合うわか菜と犬たち。みんなで山を登ってく。
英語の出来ないお坊さんは、それでも色々な事を話し、聞いてくれた。
自分のあだ名はタイ語で「ストロー」だという事、来年はバンコクの大学に行かねばならない事、出家する前の恋人の話…。
こんなにいっぱい話したお坊さんは初めてで、いつの間にか私は、彼がお坊さんだという事を忘れてしまっていた。
ナッロンリはとても可愛い顔で、よく笑うのだけどカメラを向けると必死で真面目な顔をする。
僧侶とは、こうあるべきだ、というものを見せる。わか菜にではなく、カメラに。
その事をちょっぴり悔しくは思ったけれど、なんだか、それはそれで嬉しいことのような気がした。
僧侶である前に人間である自分を見せてくれる彼に対し、私もその姿をこの自分の心に写せばいいことだ。
ケラケラ笑う、だらしなく袈裟をまとうナッロンリに、私もカメラを脱いで裸になろう。

帰国してから、彼から届いた手紙。小さな紙にタイ語がいっぱい詰まってって。
読めない私を承知で、送られてきた文字。どんな国の言葉にも訳せない、訳す必要のない気持ちがいっぱい詰まってた。  

この村で、私はもう独りではなくなっていた。
これ以上、何処かへ移動する必要はなくなっていた。
だからこそ、この場所を発つ。

ここで自分は本当にたくさんのものを貰った。
だからこそ、旅はまだ終わりにしてはいけない。

周りから与えられた幸せによって、自分の背中を押す。
それが出来て、初めて彼らへの感謝は生きる。そう思うから。

一体、旅とは何なんだろう。
旅は「非日常」? そうは思わない。
非日常というワリには、そこに在る日常の価値観にぶつかる。それは、自分の国の社会でも十分に存在する。
非日常というワリには、そこに生きる人間の心に励まされ、包まれる。それは、自分の国で出逢った人間で十分に感じられる。
旅は「期間限定」? 確かに。
だけど、それなら人生まるごと期間限定だ。

自分を試す為に旅をする自分。
独りぼっちになり、弱い自分を目の前にし、やっぱり駄目だと認め。
自分以外の人によって満たされ、そしてまた、自ら独りになる場所へ向かう力を貰い…
それは、今までの自分と同じ。

何故、旅をするんだろう。
何故、生きているんだろう。
それが同じだと感じたら、答えは要らない。
理由は、もうない。
旅を決めた時、その瞬間に理由は生まれ、消えている。

旅が終わるまで、自分は旅を続ければいいことだ。
期限がくるまで、自分に与えられたものは全て、旅を続ける力になる。

メコン川を下って、3時間ちょっとチェンライに到着。
公園でおばちゃんエアロビクス集団に混ざり、たっぷり汗を流し
道路で客呼びをするトゥクトゥクを、冗談言ってかわして
ガイドブックと自分の距離を認めれば、なんだか楽になったみたい。

陸続きの国境を、自分は今まで一度も見たことがなかった。せっかくここまで来たのだから、行ってみよう。
いざ、ミャンマーへ。
想像を遥かに外れる国境。なんら緊張感もなく、超えてしまった。
それでも、タイとは全然違う人たち。特に国境沿いの街だけあって、空気はショーバイショーバイ。
客呼びはするものの、そこには愛想笑い一つなく、買わない私が愛想笑いをしている。
そんなんで疲れ、しゃがんでいると一人の男の人が日本語で話しかけてきた。
また、客呼びかと、うんざりし、半分無視していると、どうやら彼は仕事してではなく、独学した日本語を試したいだけのよう。
暫く、話して間違った日本語を直したり、ミャンマーの文化を聞いたりした。
ただ、彼が「大丈夫」という言葉を「どういたしまして。」で覚えていたことは直さずに、そのままにした。
タイでは「大丈夫」は「どういたしまして」と同じ意味があった。ミャンマーでも同じなのだろう。
外国語を、日本語で完璧に訳すことは出来ない。
日本語を、外国語にそのまま伝えることは出来ない。
言葉なんて、伝えたい気持ちの最小単位に過ぎないんだ。

その晩の夕ご飯は美味しかった。
免疫の付いてきた体を味方に、ぬるいビールに氷をたっぷり入れて、血の気の残る何処のか知らない臓器を頬張った。
旅人の日本人にぼったくりだと教えられたレストランのオーナーは、とても優しく、おまけしてくれた。
大きな裸の太陽に散々虐められた体が、元気を取り戻すようだった。
ほくほくした気持ちで就寝。
真夜中、そんな気持ちを、この体が裏切り始めた。
それから2日間、竜巻と津波が合わさったようなお腹の痛みと、粘液のような汗は、この体を一歩も部屋から出してはくれなかった。
今までに感じたことのない体の変化に、この心は抵抗も出来ず、ひたすら死んだフリをしていた。

なんとか、心を叩き起こし、完治していない体とバンコクで行われているデモへの不安を抱えたまま、バンコクへ向かった。
だって、もう残りは二日間しかない。
夜行バスの中、どうにか復活に向かおうとする体を感じ、楽観視する心に応援しながら眠った。

心配御無用で、バンコク到着。残り一泊、まる三日。
カオサン以外なら何処でも良かった。初めのカオサンで感じた気持ちが蘇るようで、怖かった。
だけど、何を言い間違ったのか、聞き間違ったのか
バスで隣になったナイちゃんが、 旅慣れていない私を心配してバスターミナルから送ってくれたのはカオサンだった。

移動するのもイヤで仕方なく最後の宿をカオサンに決める。
最後の宿泊だもの、開き直って、ちょっといいゲストハウスに。
部屋には水だけど、ちゃんとシャワーはあるし、トイレなんて水洗だ。それに、とてもキレイ。ホテルっぽい。
気をよくした所で、このウネウネ暑いおかっぱをどうにかしよう作戦。銀座と原宿が混じったようなサヤームへ向かう。

 

生き方を教えてくれた喪服のおばさん達は、とても優しかった。
何度も何度も、真っピンクに塗られた唇を動かしバスのナンバーを教えてくれた。
帰りのバスでも、ギャルっ子たちが乗り遅れそうになったバスを止めてくれた。
乗り換えに気づかなかった私を、バスで一緒になった女の子が案内してくれた。
カオサンに着いた時、バスの中のおじさん達みんなが一斉に「ここだ!」と叫んだ。

 初めに感じたバンコクは、もうなかった。
 教育されたような愛想笑いは、もうなかった。
 何かを、自分に言い聞かせる必要は、もうなかった。

宿部屋、窓の下。クラブで楽しむ集団目がけて飛び降りた。みんなが、迎えてくれた。
カオサンのトゥクトゥク。ぼったくりの名台詞、真似して運転席に乗り込めば、ひっかかったフリして運転手が後に座った。
初めて逢った気がしない、二人の兄さん。
タイ語の夢。

 もちろん、運が良かった。でも、それだけじゃない。
 初めにみたバンコクが、もうないのと同じ。
 家族の悲しい夢を、もうみないのと同じ。
 初めに居た自分は、もう居なかった。
 
 周りを変えるために、自分を変えようとするのは言い聞かせに過ぎない。
 だけど、安易な言葉だけど、自分が変われば、周りも変わるのは、嘘じゃない。

あと数時間後にはタイを発つ。
なんだかな、胸がキューって。
今までの3週間がウソにも、誤魔化しきれないホントにも思える。
あの時のこのベンチ、あの警備員、あの売店の兄さん。
あの時と何も変わっていない、空港。
何も変わらぬこの場所に、あの時とは違う自分がいる。
タイの言葉をいっぱい覚え、タイに友だちを作り。タイはもう、見知らぬ国ではない。
そんなことが、嬉しくて嬉しくて、自分の体じゃ収まりきれず、体中の穴という穴から溢れてしまいそう。

最後の最後。深夜の空港までの道のり。
あるはずのバスはちっとも来なくて、止まるのはtaxiとトゥクトゥクばかり。
深夜のtaxiに一人で乗るのは危険って、友だちになったタイの娘たちも、旅慣れた兄さんも言ってた。
怖くて、不安で。飛行機に乗れないことも、タイで危険に遭うこともイヤ。でも、独りじゃ何も出来なくて。
これ以上待ったら、飛行機に間に合わない。
もう賭ける気持ちで、近づいてきたトゥクトゥクに乗った。
空港と市内を繋ぐ発着地まで向かってもらう。
私の不安と恐怖とは反対に、イヤに陽気な運転手。私をやたらに褒めるのが、余計に怪しく、怖い。料金は半額になった、やっぱり怪しい。
バス停に着くと、辺りは真っ暗。運転手が一緒にバスを待ってくれている。どっちも怖い。
本当にバスはもう無いんだとしたら…taxiでいくらかかるか彼に聞くと、暫く考え書くものを貸せという。
「300B」とその下に、彼の電話番号を書かれた。
なんだか急に可笑しくなって、吹っ切れた。
taxiに乗ることを決めると、彼は君よりも交渉上手だと言って、taxiを捕まえてくれた。
結局、180Bであっという間に空港に着いた。

タイの全てを見たワケではない。タイを知っているとも、まだ言えない。
今回、自分が危険な目に遭わなかっただけで、タイが安全な国とも言えない。
現に、怖い目に逢った人にも出逢った。でも、それはどこの国だって、日本だって同じ。
外国の人間が、その国を良いとか、悪いとか言うのは違う気がする。
その国に生きる人たちが、その土地を愛し、仲間を想い、家族を守り
そういう彼らがそこに生きている限り、良いとか悪いとか、そんな事は外国人でもそうじゃなくても、誰にも決められない。

安易な考え。浅はかな経験。
それでも。それでも、私は信じる。
サモアもトンガも、フィジーもあの島も、日本も、そしてタイも、同じ人間。
これからも信じたい。もっともっと、信じたい。
私が出逢ったこのタイが、そう思わせてくれた。

 

また、タイに行きたい。
もっと他の国にも行ってみたい。
まだまだ旅が終わらない自分への一番のお土産。

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