*************封切り*************

二度目の個展をした。たくさんの人が来てくれた。それまでやってきた自分に自信をくれた。
心配は安心に、そして形のない不安は、危機感に変わった。

このままじゃダメだ。
このままの自分が、あの島に通い続けていたらダメなんだ。
自分が、頑固として流れに動じない大きな岩みたいに見えた。

あの島が本当に好きだ。
自分の住むこの場所が本当に好きだ。
だけど。だけど。
自己満足に、誰かを想って何処かを愛して。
自己満足に、何かを発して何かを生んで。
幸せなことに、自分のこの満足は、他の人にも喜んでもらえて。
だけど。だけど。
それでお腹いっぱいになって。
毎日満たされて。
まわりがくれる沢山のごはんに夢中になって。
いつの間にか、自分で食材を探しにいくのを忘れてしまっていたみたい。

二度とあの島には「初めて」行くことは出来ない。
形を見せ始めた恐怖。
それを抱えたままの自分じゃ、あの島に行くことは繰り返しにすぎない。

旅に行こう。
見えてしまった恐怖を消すことは出来ないかも知れない。
それでも、そこから逃げない力が欲しい。
誰も、何もくれない。独りの淋しさから逃げられない場所へ。
与えられる喜びに溺れている自分、ちゃんと泳ぐこと出来るのか、確かめよう。

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Thailand 2008 06/3〜23

深夜1時。バンコク国際空港到着。あまりに大きな空港。わかってたつもりだったけど、本当に都会に来てしまった。
愛想笑いには、愛想笑い。本当に都会に来てしまった。

何人かの日本人バックパッカー達が一緒になってtaxiに乗るところだった。自分もあそこに行けば、喜んで乗せてくれる。
だけど、独り空港で夜を過ごすことを決めた。今、彼らに混ざったら、甘えてしまうのが分かったから。
独りの怖さに唾を吐け。
いよいよ、独りぼっちの始まりだ。

そんな事を思う内に、韓国人だと名乗るアラブ人が声をかけてきた。怪しい。
パスポートや現金を私に預け、トイレに行く。怪しい。
何処へ行くのかと聞かれ、「カオサン」だと答えると「俺も行ってみたい」という。
「アナタの旅はアナタの自由」そう言ったのが失敗だった。
結局、カオサンに着くまでの約6時間。怪しい外国人と、はっきりNOを言えない日本人は一緒にいた。

ようやく、カオサン到着。
臭い。汚い。西洋人が酔っぱらってる。
朝市を見て回る。でも、なんかなんか違う。

寝ていないからだろうか。ゲストハウスを見つけて、暫く寝る。


 

午後になって、改めて、いざカオサンへ。
そうして、やっぱり来た来た。この淋しさ。
楽しいことなど何もない。タイを知る友達から聞いていた路地も、お店も、こんな小さな街なのに見つけられない。
ただ、ただ、ずっと、ひたすら、街中を歩き回った。

東京と何ら変わりない。
その土地の空気を、好きな事を楽しむ地元の人間。仲間を見つけてはしゃぐ旅人。堂々と観光を楽しむ外国人。
どれにも当てはまらない自分に、私は淋しくなんかない。ここも東京も変わらない。
そう、言い聞かせながら、わざと背筋を伸ばし、ゆっくり歩いた。
それでも、胸の中。叫ぶ声は聞こえない。
何処よ。面白い路地って?楽しいネェちゃんって?今すぐ来て、案内してよ。
胸の中ばかり、言葉は生まれ、口からは愛想笑いしか出ない。これじゃぁ、本当に淋しい奴だ。

自分の旅をするしかない。
自分の望みは自分で叶えるしかないんだ。
それをしに来たはずでしょ。

ガンジャも出来なきゃ、英語も出来ない。
軟派な外国人に付いて行くことも出来なきゃ、ぼったくりを許すことも出来ない。
何も出来ないこの自分が、
見たいものを見て、行きたい所へ行き
どれだけ、そんな自分を自身が満たすことが出来るのか。
それこそが、自分の旅の目的だったはず。
やってやろうじゃないか。向かってやろうじゃないか。

今日から20日間。こんな自分に勝負をかけろ。

人を疑う自分に嫌悪はしない。
人々が、自分の利益の為にカモを狙うのと同様に、私は自分を守る為に人を疑う。
だけど、良い人が何処にだっていることを、私はちゃんと知っているつもり。
“良い”って、わからないけど、つまりは自分の味方になってくれる人。
この国で、どんな目に遭おうと、私が出逢った“良い”人たちへの感謝は、変わらない。変えない。
想いは伝えられなくても、想いは消えない。

一期一会。
人の人生は一回。そして、それには必ず終わりがある。
一瞬でも、何年でも、別れる日がある限り、全ての出逢いは一期一会。
名を知ろうと、知るすべもなかろうと、
自分が、その人とを想った時から、一期一会はその価値を持つんだ。

バンコクでは夕刻5時になると、いろんなお寺さんで読経が始まるらしい。
初めて、それを聞いたのは、名前も知らない、道に迷って辿り着いた小さなお寺さんだった。
人を疑うことに疲れて、イジメのような日光に照らされ、それでも歩き続ける虚しさにヘトヘトだった。
一休みしようと入ったお寺さんには、お坊さんがぞろぞろ来て、礼拝堂に入っていいものか迷った時に、一人のお坊さんが笑って手招きしてくれた。
その笑みは、本当に優しくて、お坊さんに抱きつきたい気持ちを我慢して、その中に入った。
読経が始まり、仏さんをぼーっと見ていると、自然と涙が出て来た。
それは、とても、気持ち良くって、それ以来、タイでの日々、出来る限り読経を聞きに行った。

有名な大きなお寺さん。行くには行った。すごいにゃすごいが、何か嘘っぽい。
観光客で溢れ、デジカメが向けられ、自分もカメラを向けてはみるけど、なんだか恥ずかしいような、愚かな気持ちになる。
わぁ、凄い。って一体何が凄いんだ。
宗教心の大きさが作り上げたこの建築、見せ物にするなんて、まんまと見せ物として見るなんて、なんだかちょっと淋しい。

でも読経にはそれを感じない。
無宗教の自分だけど、お坊さんたちの大きな一本の宗教心に飲み込まれた時、なんだか、枝分かればかりの自分の中身が一つになるような快感がある。
仏さんの顔を見て、ありがとうでも、ごめんなさいでもない。言葉に出来ない、いや、言葉にしてしまったら汚れてしまうような、そんな気持ちになる。

外国の電車に乗るのが夢だった。寝台列車で約15時間、チェンマイに着いた。
今日は、日曜日。夕方から始まるウィークエンドマーケットを歩くと、それは大規模な井の頭公園みたいだった。
似顔絵を描く人、イラストや写真を売る人。音楽を奏でる人。上手い下手でも、商売だけでもない、露天商たちも祭りを楽しんでいる。
歩くのも、外国人は勿論だけど地元の人たちもいっぱいいて、なんだか少しウキウキしてきた。
ウキウキしようと、努めていた。

うろうろ、うろうろ歩き回る。
旅もまだまだ残るから、荷物を増やすような買い物も出来ず、広場に腰を下ろして雑踏に身を任せることも出来ない。
カメラを覗けば、ここで生きる人たちを見せ物にしているようで、それはとても高慢に思えた。
自分は何をしているんだろう。
ここで。自分は何がしたいんだろう。 旅ってなんだろう。
虚しくて、虚しくて、散々歩いた末に部屋でごはんを食べた。
独りの虚しさは、独りきりになった方が感じないで済む。

お腹の調子が治らない。
調子こいて、氷や見知らぬ内蔵を食べたのが悪いのか。
調子こいて、ダンゴムシをいっぱい食べたのが悪いのか。
調子こいて、Beerchangたらふく呑んだのが悪いのか。
いずれにしても、調子こいたのが悪いんだろう。
それもあってか、昨夜のしんどい心もあって、体がイヤにだるい。だからといって、部屋にいたら、このまま動かなくなってしまいそうだ。
バンコクで読経を聞いたお寺を、というよりあの優しいお坊さんを思い出し、お寺さんに向かう。
ガイドブックには載ってない小さなお寺に行こう。

優しくて、ちょっと間の抜けた顔した仏さんをずーっと見ていた。
何かを願うでも懺悔するでもなく。体一つでは収めきれない自分の虚しさを、仏さんに見せつけていた。
さっきから後ろで、私をちらちら様子見してくる人がいるが気にしない。


負けない。負けないと必死に自分に言い聞かせ、それに疲れてしまった時。疲れましたと言える時。
神さまは味方してくれるのかな。

後ろから覗いてきた男の子は、将来タイの日本語ガイドになるのが夢の、あだ名はBillyといった。
チェンマイを日本語で案内させてくれ、という彼に付いて行き、
結局、その日は予想も期待も出来なかった楽しい一日になった。
その翌日も、翌々日も…。



Billyが、父の一人で暮らす実家に私を連れて行ってくれた。
そこは、本当にちいさな村で、近所に知らない人はいない、田舎だった。
どこかで逢ったことのあるような人間に、テンションは上がりっ放し。
話を訳そうとするBillyを無視して、私は堂々と日本語と通じないタイ語で会話した。
みんなが通じないのに話しかけるのを止めなかった。
私は話せないのに話しかけられることを喜んだ。
本当に、楽しかった。嬉しかった。そう、満たされた。

だけど。
Billyに逢えたからこそ、この人たちに出逢えた。
そのことを認めた夜。
チェンマイを出ようと決めた。
もしかしたら、今なら自分で、自分が満たされる場所を見つけられるかも知れない。
妙な自信と勇気に、熱くなった。

 

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